ルレナバケの日系人その1:動画

ボリビアの高地からアマゾン河の支流ベニ川が、低地ジャングル地帯に流れこむ。その要所にある街ルレナバケ。ジャングルツアーの拠点として観光客が急増している。戦前移民の末裔の日系人も多く住む。2009年8月14日、ラパスから飛行機で一時間弱、6千メートルの高峰を越えルレナバケへ。寒さにふるえ厚着だったのが、いきなり半袖ビーサン。暑いのがうれしい。

今年は日本からのボリボアへの移民110周年。つまり戦前から移民が渡っているわけで、ここで、戦前移民の話。

20世紀初め頃、アマゾンは空前のゴム景気にわいた。ゴムはジャングルの天然ゴムからしか生産できなかった時代、自動車タイヤの需要が激増したのだ。
その頃、ペルーの農園労働者として日本から多くの移民が送り込まれたが、奴隷同然の厳しい労働環境から逃げ出す人が続出。首都のリマで商売を営む人もいたが、一部はアンデスを越え、ゴム景気にわくアマゾンを目指す。その頃、ゴムを集める労働者には、農場労働者の数倍の賃金が金貨で支払われたという。

アンデス山脈にある4000メートル以上の峠を歩いて越え、峻険な峡谷を下り、アマゾン河支流域のジャングルへ。文献(1)によると、彼らが越えたアイマラ峠は、当時の日本人の高度到達で最高記録だった。峠では高山病で亡くなった人もいる。
彼らのことを「ペルー下り」と呼ぶ。
苦難の末、彼らが到達したのが、ペルーからボリビアへ流れるマードレ・デ・ディアス川周辺だ。いま、そこに、日本語を忘れ、日本人の末裔であることも忘れた多くの子孫が暮らしている。その数じつに1万5千人以上。

移民が大きな文化集団に飲み込まれ同化していくのは必然だ。この過程を鎖国前の東南アジアの日本人村の命運になぞらえた人もいる。

ここで出会った日系人の人々について次回以降書く。


文献(1)『アンデスを越えた日本人』向一陽