南相馬大迫にて夫婦と墓
2012年4月16日、福島県南相馬市では、原発事故20キロ圏で立入が制限されていた警戒区域が解除された。ほとんどのエリアは自由に立ち入ることができるようになる。津波の被害が大きかった海岸よりの原町区大迫で、墓を見に来ていたご夫婦に話を聞いた。
「この1年で帰宅できたのは3回だけ、それも1〜2時間。ようやく長い時間帰宅することができた」
解除エリアで会ったのは、ほとんど高年齢の方だった。
原発20キロ圏の警戒区域が解除された南相馬市 報告その1
【南相馬大迫にて夫婦と墓】
「いま私たち市民にできることプロジェクト」
東日本大震災における市民放送プロジェクト
http://dekiru.or.jp/
盗難ATMや新しい浪江町とのバリケード
2012年4月16日、福島県南相馬市では、原発事故20キロ圏で立入が制限されていた警戒区域が解除された。ほとんどのエリアは自由に立ち入ることができるようになる。
小高区福岡のコンビニは、ATMが破壊されていた。おそらく震災後間もなくであろう、生々しい盗難状況がそのまま残っていた。
国道6号線では新しいゲートで新潟県警から応援で来ている警察官が検問していた。以前の20キロラインの検問所では線量は0.3から0.4マイクロシーベルト毎時。新しい検問所では0.5マイクロシーベルト毎時くらい。警察官はおおむね2週間で交代するらしい。
隣の浪江町との境界で、海に近い「相馬双葉境の松」の道には新品のバリケードが。境の松の下では1.21マイクロシーベルト毎時。近辺ではマスクを着用した民間パトロールが巡回していた。
原発20キロ圏の警戒区域が解除された南相馬市 報告その3
【盗難ATMや新しい浪江町とのバリケード】
「いま私たち市民にできることプロジェクト」
東日本大震災における市民放送プロジェクト
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後から来る世代、怒る世代
2012年1月15日、東京藝大先端表現科の卒展シンポジウム「10 MONTH AETER 3.11」に行った。
http://www.geidai.ac.jp/event/sentan2012/
そこでアート、表現、原発事故に関するいろいろな話を聞き、考えた。
イルコモンズさんが、これから、多くの人々から立ち上がる、「文化」が発生する、と。
その「文化」は何かと考えた。
高嶺格さんが言っていたこと。
「最近、最も強く印象に残った表現はいわきの高校生の演劇だった。彼らやほかの子ども達も、みんな何が起きたのか、メデイアやら政府やらの何がおかしいのか、よくわかっている。そして、怒っている。次に出てくる世代は、みな、それを共有した世代となる。自分が強く感じたのは、われわれ上の世代は、後から来る世代と対立せず、きちんと向き合う準備が必要だということだ」
南相馬からの報告・孫は戻さない
原発事故の被害が続く福島県南相馬市。
そこに住む川又さんの報告をBS11で放送した。
被災者でもある川又さんは、現地で会社を営んでいる方で、定期的に現地からの報告レポートをしていただいている。
南相馬から避難していて、帰ってきた人もいるが、多くの子どもやその親は、もう戻ってこない。
これが現地で現実に起きていることだ。
「地域が消えて無くなる、そのカウントダウンにはいったかもしれない」
地元の人の切実な言葉や思いを、テレビは取り上げているか。新聞は書いているか。
【南相馬からの報告・孫は戻さない】
「いま私たち市民にできること」パブリックアクセス市民放送は、毎週火曜日22時45分頃から3分間、デジタルBS放送局BS11で放送中。http://dekiru.or.jp/